2011年9月24日 (土)

ドイツ旅行記2010 シュトゥットガルト

今さらながらの昨年の夏のドイツ旅行記の最後は、シュトゥットガルトです。

日本へ帰る前、わざわざここを訪れた目的のひとつは、友人の友人であるチェコ人の女性に会うこと。

友人通じて、私も何度かメールのやり取りをしたことがあるのですが、実はここのブログの名前も彼女が訳してくれたものです。

「ドイツ語への道」

いやマジ、これは本当に遠かった。。。。wobbly

で、もうひとつの目的は、その数日前にライプツィヒを訪れた際にホームを不在にしていたゲヴァントハウスオーケストラの演奏会がシュトゥットガルトで行われるため。

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シュトゥットガルトの町の中心地に近いところです。

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ここも戦時中、町のほとんどが焼失しています。

一見、歴史的に見える建物も、大半が戦後に再建されたものだそうです。

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シュトゥットガルト中央駅です。

日本でも時々これに関するニュースを目にしますが、利便性向上のため、現在この駅の大規模改修が計画されています。

工事が完成すると、現在の駅の様相は大きく変わってしまうようで、その反対派の人々の大規模な抗議デモが私が訪れた頃にも催されていました。

緑の党もこれに反対する立場を取っており、党がこの間の選挙で大躍進したことで、現在工事は中断されてるようです。

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ライプツィヒゲヴァントハウス・オケのコンサートが行われたホール。

音楽専用ホールではなくて、コンベンションセンターみたいなもののようです。

だけどちゃんと名前は、ベートーヴェン・モーツァルト・ジルヒャー ホール。

ジルヒャー(フリードリッヒ・フィリップ・ジルヒャー)は、「ローレライ」を作曲した人です。

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小ホール、なのかな~?

こちらは、ヘーゲル・シラー ホール。

コンサートの演目は

・シューマン 「ゲノフェーファ」序曲

・シューマン 「ピアノ協奏曲」

・シューマン 「交響曲第3番 ライン」

何とまぁ~note

オールシューマンプロ。

指揮はリッカルド・シャイー、ピアノソロはキット・アームストロング。 

2009年の来日の際にも、このペアでしたね。

演奏は、爽やかに流れるライン、一方、P協はピアニスト、年齢も若いけど演奏もまだ若いな~って感じでした。

もっとも、普段よく聴くリヒテルと比べちゃいけないと思いますが・・・coldsweats01

コンサート終わってホールの外に出たとき、すぐ脇に正装したアジア系の歳若い男の子がニコニコと御行儀よく、そして控えめにチュンと立ってました。

あらあらこの子ったら、随分正装してコンサートに来たのねぇ~

なんて思って、よーく見たら、何と!キット君ではないの!!

それぐらい、一見ごくごくフツーの子なのに、実はピアノの腕のみならず頭脳だってスゴイんですよねー

なんでも7歳で大学に入って、数学やら科学を学んでいたとか・・・sign02

ところで、ちょうどこのときの東京ーフランクフルトの機内で上映されてた映画のひとつが、

「僕のピアノコンチェルト」( 原題「VITUS」)

Photo

スイス映画です(ドイツ語heart04

ピアノのみならずIQも高いスーパー天才少年が、最後に本当に自分がやりたいことを見つけるってストーリー。

コミカルなシーンもあって笑える一方、ちょっぴりホロリとしたり。

こーゆー映画って、すっごく好き。

そして主人公がラストに弾くのが、シューマンP協です。

なんだか、キット君と主人公ヴィトス君がうっかり重なってしまったりして・・・

ちなみに、このヴィトス君役の少年テオ・ゲオルギュー君自身も、「若いピアニストのためのフランツ・リスト・コンクール」の10歳~13歳部門で優勝した経験を持つピアニストだそーです。

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2011年8月28日 (日)

ご無沙汰です

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気づけば、夏も終わり、かなー?
先週の横浜の花火大会です。

ありえないほどの更新の間ですcoldsweats01
今年に入っての記事ってば、わずかに、よ・・・4本~~sign03

最後は、震災の記事・・・ですね。

更新止まってたのは、震災の影響でもなんでもなく、要するに単なるズボラちゃんです。

ツイッターするも、ふたつ呟いて終わり、フェイスブック登録するも、友達と繋がってるだけ。

なにはともあれ、前回更新時から、早くもほぼ半年。
まずは近況報告です。

ドイツ語

いやぁ~実はですねぇー、いっときのテンションは下がりました。
とゆーのも、先生がドイツに帰っちゃったんですweep
まぁー、直接のきっかけはやっぱり震災ですね。。。
スカイプでレッスン続けよーよ、と言われたものの、ちょっとペンディング中。
ほかにピンと来る先生もいないので、とりあえずは今はNHKのラジオ講座で独学中です。
まったくの初学者状態で、約1年間先生に習って、でもってその学習の効果、つまりドイツ行ってどれほど実践できたか?ってことですが、この件についてはまたいずれ別の記事でということで。

音楽

ほぼ毎日聴いてます。
もちろんシューマン聴いてますよ!
でもって、少し前から、ブラームスのマイブーム起きてます。
ブラームス、これまではひたすら交響曲とV協、P協専門だったんですが、突然弦楽六重奏曲が天から降りてきて・・・ええ、ありがちですが、第1番第2楽章です。
ブログのお友達ハルくんさんに教えていただいた、六重奏曲のカザルス&スターン盤を皮切りに、四重奏曲、五重奏曲、ヴァイオリン・ソナタへと突入し、昨日は先日来オーダーしていた、やはりハルくんさんに教えていただいたヴィオラ・ソナタのCDが届いたので、こちらも楽しみです♪

これらの曲の感想については、またあらためてってことで、なんでまた突然これほどのブームが起きたかというと、そもそもは新潮文庫の『ブラームス』(三宅幸夫著)を読んだのがきっかけでした。

ブラームスといえば、これまでシューマンとクララの関係の中の人物として捉えたことはあっても、ブラームスを主体とした視点では興味を持ったことなかったんです。

だけどこの本読んだら、なんてゆーか、すごーく愛しい人物に思えてきちゃって。

「僕、ブラームスです。ハンブルクのブラームス」とシューマン家の戸口で呟いたヨハネス青年。

彼の生涯をずっとたどっていくと、そんな光景に対しても、いやァ~なんかね、クララじゃなくたって、めった母性の自覚ない私だって思わず抱きしめたくなるよーな気分になっちゃうのよ。

でもって、そんなマイ・ブームのさなか、こんな本までタイムリーに出ちゃったのも嬉しかったです。

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写真たっぷり、おまけにCD付きです。

ブラームスの辿った軌跡が、写真で綴られていて(もちろん文章も)

旅情もたっぷり。

次は、ハンブルクか~♪


ところで、この本、世界文化社の「家庭画報特別編集」なんだそーです。家庭画報って言ったら、ふぅーん・・・どれぐらいの層の方(要するに年齢層)が読まれるのか、このシリーズの第一弾がショパンで、第二弾がなぜかブラームス。

あくまでも勝手なイメージだけど、家庭画報×ショパンときたら、第二弾はリストなんかの方がありえそうな気がするんですが、ブラームスなのはなぜ??

旅行

実は、あるきっかけがあって、GW利用してドイツ行ってきました。
きっかけ先がケルンだったので、今回はケルン・ボンなどのライン沿いの町です。
これもまた、おいおい記事にしようと思ってます。
んだが、まだ写真はデジカメに入れっぱなし・・・sweat01

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ヘッダーにも使った写真は、コブレンツにあるドイチェス・エック(ドイツの角)と呼ばれるライン川とモーゼル川の合流点です。

うーーんheart04やっぱりライン川では、『ライン』聴きたくなりますね~♪

まずは、昨年の旅の最後の訪問地、シュトゥットガルトのことをまだ記事にしてないので、そちらから書こうと思ってます。

とにもかくにも、こんなズボラで超気ままな女ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m

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2011年3月29日 (火)

少しずつ

今夜(3/29)、ベルリン時間午後8時(日本時間3/30午前4時)より、ベルリンのフィルハーモニーで「東北関東大震災 救援募金コンサート」が開かれます。

プログラム

・バレンボイム指揮 ベルリン・シュターツカペレ

チャイコフスキー「交響曲第6番 悲愴」

・ラトル指揮 ベルリンフィル

ブラームス「交響曲第4番」

このコンサート、ベルリンフィルのデジタル・コンサートホールでも配信され、現地のチケット代、ネット配信料ともに収益はすべてユニセフに寄付され、被災地の子供たちに送られます。

このデジタル・コンサートホールには、24時間チケット、30日チケット、12ヵ月チケットの3タイプのチケットがあり、それぞれの期間中、デジタル・コンサートホールのすべての演奏会を自由に観ることができます。

ベルリンだけでなく、シュトゥットガルトなどドイツの他の都市でも、このようなチャリティーコンサートが開かれています。

先日、タイの貧しい町の子供たちが、日本のために募金してくれている映像をTVで見ました。

世界中が、日本に心を寄せてくれている。

あのとき以来、あんなに好きだった音楽を一切聴かなくなりました。

聴く気になれなかった。

音楽が心を癒す、なんてウソ。

私の音楽好きも、ウソ。

そんなことを本気で思うほど。

被災地のことを思うと、今回の私の経験なんぞ口にするのも申し訳ないようなレベル。

だけど、だけど、本当ーーに!!怖かったんです。

関東南部のココも、かつて経験したことのないような激しい揺れ。

知らずに体、震えてました。

揺れの最中のこと、半分は覚えてません。

そのぐらい、アタマ真っ白け。

その瞬間を境に、音楽は私の世界から消えました。

サントリーホールでの、ゲヴァントハウス『ブルックナー8番』の素晴らしさに興奮するほど感動したのは、地震のわずか一週間前の同じ金曜日のこと。

地震はあのブルックナーさえも、遙か遠くの世へと吹き飛ばしてしまいました。

あのときの揺れの恐怖が、被災地の映像と重なる。

被災地へのどうしようもない心痛む思いと、自分の内にある恐怖心と。

常に心を覆い続けている黒い雲。

そこに、音楽の入りこむ余地はまったくありませんでした。

こんなんじゃー、ダメだ、ダメだ~!!

と、よーやく思い始めたのは数日前。

そんなとき、ダンナがぽつり。

「なんか、音楽でもかけたら?」

え・・・つか、そんな気分じゃないんだけど。

でも、そーだね。いつまでもこんなんじゃねぇ・・・

「何かける?」

「ライン!」

ウチのダンナ、なぜかやたら『ライン』(シューマン交響曲第3番)が好きです。

ふーむ、『ライン』か・・・

だけどいつも聴いてるサヴァリッシュのCDは、車の中。

わざわざ取りにいくのもねぇ・・・(こんなときでも、無精者)

じゃ、今日はバーンスタインで。

どうせなら、同じCDの冒頭の交響曲第1番から聴きましょー

そして、そして・・・

やってきました!

シューマンの『春』!!

なんとも言えない、ほとばしるような、漲るような力が体の中から湧いてきました。

あたしってあたしって、なんて単純なんだろー

体も気持ちも、素直に音楽に反応していきます。

時には暑苦しさを覚えるバーンスタインが、心を覆う黒い雲をパーッと吹き飛ばしてくれました。

『春』という名のとおり、この曲には生命の息吹のようなものを感じるんですが、このときほどその生命力を強く感じたことはありません。

そして、尊敬するマザー・テレサの言葉の数々が、今ほど強く心に響くことも。

私の行いは大河の一滴にすぎない
でも何もしなければ その一滴も生まれないのです

大切なのはどれだけ沢山のことをしたかではなく、
どれだけ心をこめたかです

あなたたちは、もっと身近なことからはじめたらどうかしら

愛の反対は、憎しみではなく無関心です

愛は行動を伴うもの

被災地のために私ができること。
己の非力さを嘆くより、まずは行動行動!
自分のできることを、少しずつ、ひとつずつ・・・ね。

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2011年3月20日 (日)

震災

このたびの震災で被害に遭われた方々へ、心からお見舞い申し上げます。


この世に「絶対」はないということをあらためて考え続けた一週間でした。
すべてが「想定外」といわれる今回の事態。
突き詰め出すとキリがないのかもしれませんが、「想定内」を前提に構築されたものなんて、このような災害を前にすればあっけなくももろいということ。
これだけの犠牲を出してそのことに初めて気づく・・・本当にやりきれません。

被災地の方々の一日も早い生活の復興と心の回復を、
ただただ願うばかりです。

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2011年2月13日 (日)

ドイツ旅行記2010 ライプツィヒ

 

先週は、都内の某ドイツ料理店でのオフ会でした。

やっぱりホフブロイハウスの生ビール、美味しいです~!beer

グリューワイン、プレッツェンもgutheart04

はるりんさん、そして皆さま、その節は楽しかったです。

ありがとうございました!

とゆーことで、って・・何が〝とゆーことで″なのか意味不明ですが、とにもかくにもドイツ旅行記も、ついにライプツィヒに突入です。

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出発はベルリン中央駅から。

2006年に開業した新しい駅です。

かつての東西ベルリンの境界線に位置するこの駅ができる以前は、ツォー駅(「動物園駅」)がベルリンの中央駅的な存在でした。

そのツォー、ベルリン動物園にはかの有名なシロクマ、クヌートがいますよ~!

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いつも思うんですが、ヨーロッパの中央駅ってどの国も似てませんこと?

いずれも折り返しの終着駅であること、ドーム型の天井、そんな構造から似通ったイメージがあるのかもしれませんが、パっと見た目、区別つかないわーー

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ベルリンからICE(ドイツの新幹線)に乗って1時間ちょい、ライプツィヒに到着。

ライプツィヒ駅前です。

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意外や、地味な町だな~との第一印象。

まずは目指すはツーリストインフォメーションなんですが、駅近くのその場所にいってもなぜかそれらしきものは見当たらず・・・

この時期、駅前は大規模な工事にかかっていて、その関係でインフォメーションも移動しちゃったみたいです(2010年8月末時点)。

親切な工事現場のお姉さんに教えてもらって、ようやくインフォメーションに到着。

「シューマンハウスにはどうやって行けばよいですか?」

(持ってるガイドブックの地図には載ってない)

「それなら、ここから市電に乗ってヨハネスプラッツ(ヨハネス広場)で降りるといいわよ」

と、金髪の美しいお姉さん。

ヨハネスプラッツ・・・ヨハネス・・・

あらら、なんと!こんなところにまでヨハネスの影がーーーー!

(いえ別に、単なる偶然と思います)

と、せっかくお姉さんからアドバイスをもらったというのに、市電に乗る手間を惜しんでタクシーにてシューマンハウスへ。

円高って、いちいち気が大きくなりますねー

駅近くから、6ユーロぐらいの距離でした。

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シューマンハウスです。

住宅地の一角に、さり気にありました。

隣は幼稚園なのかな?子供たちの声が賑やか。

ところが、到着したのがお昼前。

ご覧のように建物の扉は固く閉まってました・・・

ん?と思って、案内板を見てみると、

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Mi.-Fr. 14-17Uhr  Sa.-So. 10-17Uhr

あ・・・午後2時からなのね~

それなら、ほか回ってまた戻ってきましょ、と、新ゲヴァントハウスへ。

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現在のホールは、1981年建造です。

当時の常任、クルト・マズアもこれの建立に尽力しました。

1階には、ホールショップがあって主にCDが売ってます。

一応レジ近くに、シューマン特設コーナーもありましたが、分厚いドイツ語の本(当然か)とCDがいくつか程度。。。

生誕200周年の割には、ちょっと地味すぎないかい?

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ゲヴァントハウス横の大通り。

まだまだ旧東側の名残りを感じる町並みです。

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次に向かったのが、メンデルスゾーンハウス。

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1835年にゲヴァントハウス管弦楽団の常任指揮者となったメンデルスゾーンは、1847年11月、晩年住んだこの家で亡くなりました。

裕福なユダヤ人家庭に生まれたメンデルスゾーン、ナチ政権時代には、ゲヴァントハウス前にあった像も撤去破壊されるなど、散々な憂き目に・・・

ベルリンの旧フィルハーモニーの像も、同じ目にあってましたね。。。

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毎日曜日には、ここでコンサートも開かれてるそうです。

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ふっと、メンデルスゾーンが現れそーな・・・

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シューマン夫妻とも親交のあったメンデルスゾーン。

ロベルト&クララに関する記述もありました。

・・・ですが、この記念館、展示物の記載はすべてドイツ語です。

よかったのは、ここ写真撮影がOKなんです。

但し、1ユーロ(だったかな?)の有料オプションですが。

次にやってきたのは、ライプツィヒといえばやっぱりあのひと!

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バッハが、1723年から晩年までオルガン奏者および合唱団指揮者としてお勤めしたトーマス教会。

マタイ受難曲、ヨハネ受難曲、ロ短調ミサ曲などなど、主要な曲がすべてこのライプツィヒで誕生してます。

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残念ながら、バッハが弾いたオルガン・・・そのものじゃーないみたいです。

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現在、祭壇正面のこの場所にバッハは眠っています。

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トーマス教会からすぐのところにあるバッハ博物館。

こちらは、どことなく〝何でもあり″感漂うメンデルスゾーンハウスとは違って、写真撮影厳禁、セキュリティーチェックありといちいち厳しいです。

だけどやっぱり、英語・ドイツ語併記なのは有難いです~

博物館の一室には、小さいながらバッハ音楽視聴コーナーもあり常に満席でした。

そこで使ってるヘッドフォンは、おぉーーっ!さすが!Sennheiser ゼンハイザー。

やっぱり素晴らしい音だわ~♪

実は愛用イヤフォンも、ゼンハイザーIE8(某ブラウザじゃないです)。

色々イヤフォンを渡り歩き、最後に辿り着いたのがコレ。

そうこうしているうちに、午後2時もとっくに回り、それ急げ!と再びシューマンハウスへ。

なんたって、ここがライプツィヒ訪問の本命なんですから。

・・・

んだが・・・!!

なぜかなぜか、相変わらず表の扉は閉ざされたまま・・・

2階にある展示室も、どうやら明かりがついていない様子・・・

なんだかイヤ~な予感がして、それでも扉を押してみるも、やっぱりビクともせず・・・

もしやっ!と思って、あらためて案内板をジーと見つめることしばし・・・

Mi.-Fr.

午前中みたときも、確かにこの文字は目に入ってたんです。

そのときに、これを「月-金」とすっかり思いこんだアホな私。

だって、M→Monday じゃ・・・

その連想自体、脳みそ破綻してます。

これは英語じゃなくて、ドイツ語!!

そうでした、ドイツ語でMi. は Mittwoch 水曜日なんです。

(ちなみに月曜日は、Mo.(Montag))

つまり、表記から Mo.と Di. (月曜日、火曜日)は抜けおちてるワケで、今日はその火曜日・・・

休館日でした・・・weep

この手の施設って、通常月曜日が休館日なことが多いので、あえて月曜日は避けてたんですね。

だけどまさか、火曜日が休みだとは・・・

つか、月曜火曜、連休だったとはーーーー!!pout

まぁとにかくいちばん悪いのは、事前にちゃんと確認していかなかった私自身なんですが、でもねでもね、インフォメーションのお姉さんも、タクシーの運転手さんも(いずれもとっても親切だった)誰も、「今日は休みよ」って教えてくれなかったんです・・・

これって、つまるところもしや、ライプツィヒでのシューマンの位置づけを象徴してるんじゃーないかと。

バッハ>>>メンデルスゾーン>>>>>>・・・・シューマンweep

ってな感じ・・・?

グッズなども、バッハグッズなどは町の至るところで見かけるんです。

だけど、生誕200周年だというのにもかかわらず、シューマングッズを目にすることはほとんど稀。

よーやく一軒の本屋さんで見つけたのが、コレ。

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ポストカードと、ロベルトとクララのミニ本です。

きっと、シューマンハウスの中には色々あったのかもしれないけど。。。。

そんなわけで、地団太踏みまくりの今回のライプツィヒ訪問。

やっぱりこれは近いうちに再度、リベンジ訪問ということでdash

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2011年1月23日 (日)

あけまして・・・ってー、今さらですが

新年の更新しなきゃ、と思いながら、ありゃっ・・・!

実は年末にPCが壊れたり、何やらかんやらしているうちに、すでに1月も後半に・・・coldsweats01

といっても、おニューのVAIOちゃんは年明け早々に届いていたので、要するに単にズボラなだけなんです。


今さらですが、皆様今年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年は、このブログを通じて新しいご縁ができたこと、とても嬉しく思ってます。

皆様のブログを拝見することで、それまで激しく局所集中型だった私の音楽鑑賞傾向が、少しづつ広がってきたような気がします。


今年の年明けは、モーツァルトで始まりました。

セル&カサドシュのピアノ協奏曲集

実は長年モーツァルトに、ピンと来なかった私。

でも、これを聴いたとき、はじめてモーツァルトの美しさに開眼flair

あっさりし過ぎという印象もあるかもしれませんが、個人的にはこのあっさり感がモーツァルトにふさわしい気がします。

だけど、といっても本命はやっぱり、シューマンですheart04

続いてブルックナー、ベートーヴェン、ブラームス

このあたりの嗜好は、きっと一生変わらないかな。

コンサートでは、今年はブルックナーの8番などを聴きに行ってみたいですね~

春のゲヴァントハウス、どーなんだろ・・・?



昨年3月から始めたドイツ語も、月2回のペースでレッスン続けてます。

一応、一冊目のテキスト終わったけど、だけど・・・ハッキリ言って、まだまだぜんぜん

人間の言葉のレベルじゃーありません。

ちょっとドイツ語のわかる犬程度?

いや、ドイツに住んでる犬の方が、よっぽどマシなヒアリング力って話も・・・dog

まー、がんばりマス。

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2010年12月25日 (土)

ハレルヤ~!

メリークリスマス!xmas

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クリスマスの音楽といえば・・・

バッハの『クリスマス・オラトリオ』がベタ・・・かな。

でも個人的には何たって、ヘンデルの『メサイア』です。

ミッション系の中学高校時代、毎年クリスマスミサに全校生徒1,500人で歌ったのが、この『メサイア』の『ハレルヤコーラス』。

女子校だったので、女声3部。

私・・・?えぇーーっと、いえいえ、これがまたどうして当時はソプラノ。

♪Lord of Lordsーーー!!♪

上の“ソ”の音に、血管切れる寸前でしたっsweat01

今でもハレルヤコーラス耳にすると思わず一緒に口ずさんじゃいますが、しっかりオクターブ下で歌ってますcoldsweats01

↑の写真は、昨年12月のドイツ訪問時のモノ。

ミュンヘン マリエン広場のクリスマスマーケットです。

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同じく、ミュンヘン。

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こちらは、ニュルンベルクです。

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ノイシュヴァンシュタイン城。

近くだと、どこのお城かわからないって?(笑)

では皆さま、楽しいクリスマスを~!xmas

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2010年12月 4日 (土)

ドイツ旅行記2010 ベルリンその6

12月ですね~

12月といえば、ドイツのクリスマスマーケットxmas

昨年はこの時期休みを取って、フランクフルト、ミュンヘン、ニュルンベルクのクリスマスマーケット巡りをしてきましたが、今年は・・・絶対にムリだわ・・・

てか、12月に休みを取るのは、仕事的には自殺行為であることを昨年イヤ!というほど思い知ったので、多分次に行けるのは、引退後・・・ですかねぇ~

その代わり、というのも何ですが、今年から地元の某観光名所でもクリスマスマーケットが開かれるらしいので、雰囲気味わいにちょっと覗いてみようかな~なんて思ってます。

ちなみに同じ場所では毎年、オクトーバーフェストも開かれてますbeer

ところでこのブログ、気づけば、前回更新からひと月以上・・・sweat01

最近、「ドイツ旅行記」や「ベルリン旅行記」のキーワードでこのブログを訪れてくださる方がポツポツといらっしゃるんですが、そう言った角度からあらためて自分の記事を見直してみると、ありゃ・・・場所の詳細等の記載が一切ない・・・coldsweats01

と、まぁそれはおいといてっ、今回はじめてベルリンを旅するにあたり感じたことは、意外(?)やベルリンに関する情報が巷ではまだまだ少ないということ。

たとえばガイドブックひとつとっても、もちろんベルリンの記載はあるものの、ページ数でいうと南ドイツの方が断然幅を利かせてるし。

でも旅をするからには、やっぱりたくさん情報は欲しい!!

ということで今回は、お勧めベルリン関連本のご紹介です。

(1)『素顔のベルリン』ダイヤモンド社

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著者の中村真人さん(masatoさん)は、ベルリン在住歴10年のフリージャーナリスト。

全編にライターであるmasatoさんの感性が貫かれていて、そんなmasatoさんのベルリンに対する愛情が読み手であるこちらにも伝わってくる、本当にステキな本なんです。

私自身、masatoさんの視点にはとても共感を覚えることが多くて、そういった点からも他の街ガイド本とは違った魅力を感じています。

最近も、ご自身のブログ『ベルリン中央駅』の中で、ある小説について触れられていたんですが、実はその小説、私も数年前に読んでひどく感じ入り、まさに興奮して眠れなくなったほどの経験があったので、masatoさんも同様の思いを抱かれたことを知り、ますます嬉しくなってしまいました。

現在、NHK「テレビでドイツ語講座」のテキストで、『映画で歩くベルリン』というコーナーを担当されているのですが、こちらも単なるシネマレビューとは違って、タイトル通り、実際に映画に関わる場所を訪れた上で執筆されてますので、こちらを読んでいるだけで、「またベルリンへ行きた~い!!熱」がぶり返してしまいます・・・

ちなみに、現在発売中の12月号では、『善き人のためのソナタ』を取り上げていらっしゃいます。

masatoさん、ベルリンの個人ガイドもなさっているので、実は今回のベルリン滞在中、私も1日ガイドをお願いしました。

前述のフルトヴェングラー生家や旧フィルハーモニー跡なども、masatoさんにご案内いただいた場所なんです。

masatoさんご自身、学生時代をはじめオーケストラでのご経験もあり、音楽に対してとても造詣の深い方なので、そういった点でも、ガイドをお願いするにあたってはとても嬉しいことでした。

(2)『図説ベルリン』河出書房新社

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こちらは初版発行年でいうと、masatoさんの著書よりも9年ほど前になるため、すでに情報という点ではいくつか実情と異なっている部分もありますが、実はむしろこれが興味深かったりします。

統一後、著しい変貌を遂げるベルリン。

9年という月日は、町の様相を変えるには十分すぎる年月なのかもしれません。

今回、この本記載の情報の中でいちばん楽しみにしていたのが、ボツダム広場のソニーセンターでの「ベルリンフィルの指揮疑似体験」。

ですが、ベルリン到着翌日、真っ先にここを訪れてみたものの、そのようなものはどこにも見当たらず・・・

masatoさんに伺ってみたところ、なんと!数年前になくなったんだそうです。。。

こういったベルリンならではのバーチャル体験、しかもソニーのハイテク。

それなのに、どうしてなくなってしまったんでしょうねぇ・・・

うーーーん、残念。。。

(3)『ヒトラーの防具』新潮文庫 帚木蓬生著

これはガイド本ではなく、ベルリンを舞台にした小説です。

Bogu

帚木氏の本、何冊か読んでますが、やはり舞台が舞台なだけに、いちばん感銘を受けたのがコレ。

第二次大戦中、ベルリンに駐在した武官が主人公。

冒頭は、現代のベルリンから始まります。

壁崩壊後のベルリンの大学で、ヒトラーに贈られたと思われる剣道の防具と、ある日本人の手記が発見されます。

この手記がそのまま、この小説のベースになっています。

ストーリーそのものはフィクションなんですが、実在人物たちも登場し、日本人、ユダヤ人、ドイツ人を問わず、あの時代にベルリンで生きた人々の数奇な運命に、なんとも言えない思いを抱かざるをえません。

主人公が、フルトヴェングラー指揮のベルリンフィルの演奏を聴きに行くシーンもあります。

大使館駐在の武官の手記なだけに、当時の外交に絡む人間像なども描かれていて、本当に興味深いです。

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こちらは今回訪れた、アンハルト駅の遺構。

やはりmasatoさんに連れて行っていただいた場所なんですが、ここはかつて「皇帝の駅」と呼ばれ、列車でやってくる国賓はすべてここで迎えられたそうです。

かつての松岡洋右外相もここに降り立ったわけですが、遺構を前に佇んでいると、あたかもこの小説の時代にタイムスリップしたような気分になり、ちょっと身震いを覚えたり・・・

そして最後に、こちらは本ではないんですが、ベルリン関連の映像ドキュメンタリーの個人的愛蔵版が、2009年にNHKで放映された『ベルリンアンダーグラウンド』。

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ベルリンの地下世界に焦点をあてた、このドキュメンタリー。

それはヒトラーの時代の地下だったり、東西冷戦時代の地下だったりするんですが、こういう地下世界もまたベルリンの歴史の生き証人なんだな~と、ベルリン大好き人間としては大変興味深い番組でした。

NHKのドキュメンタリーといえば、つい先日放映された『伯林100年の物語』。

コレ、録画だけしてまだ見てないんですが、「権力と芸術家」という視点で描かれたベルリンの100年。どうやら、フルトヴェングラーも出てくるみたいです。

というわけで、今回をもって、ベルリン旅行記は終了です。

ドイツ、これまでに幾度も訪れた国ですが、ベルリンを訪れたのは今回が初めてでした。

あれは壁崩壊からまだ数年の頃、仕事でフランクフルトを訪れた際、オフの日に同行の後輩から「ベルリンに行ってみません?」って誘われたんです。

でも当時の自分の中でのベルリンに対するイメージとしては、暗い!混沌!という感が強くてどうにも気乗りがせず、結局足を伸ばすには至らなかったんです。

その後もチャンスはあったものの、結局一度も足を向けることはなく・・・

都市は生き物。

90年代半ば、きっと今とは違ったベルリンに出会えたはず。

なのになのに、本当に残念なことをしたものです。。。

とにかく、まだまだ訪れたい場所がいっぱいのベルリン。

次回の長期休暇は、やっぱりまたベルリンかな~♪

Aug30

記念に、masatoさんに頂いたサインです。

このたびは、本当にありがとうございました!

次回は、涙涙sweat02悔恨のライプツィヒですっ・・・sweat01

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2010年10月17日 (日)

ドイツ旅行記2010 ベルリンその5

小学生の頃、母に連れられて行った某デパートでの「アンネの日記展」。

直視するのもためらわれるような惨たらしい写真や遺品の数々、そんな悲惨さとは一見無縁にみえるアンネというひとりの等身大の少女の記録。

それが子供心にもひどく痛ましく、多分人生初(?)の激しい衝撃を受けて帰ってきたような気がします。

それにしても・・・

なぜこのようなことが起きたんだろう・・・

その日以来、ずっと抱え続けている思いです。

人の手によって作り出された、この世の地獄。

もちろん、これは何もドイツに限ったことではなく、過去の日本を含め、残念ながら地球のいたるところで今なお繰り広げられているものですが、あえてナチの犯罪の特異性を語るとするならば、ひとつの人種を徹底的に打ちのめそうとするその思想と手法、そして600万近くにも及ぶ犠牲者の数で、やはりホロコーストは特筆すべきものではないか思います。

なぜ、ドイツでこのようなことが起きたのか・・・

第一次大戦での敗戦の痛手から立ち直れず、経済的にも逼迫していた等々の理由はあったにせよ、あの狂気ともいえるヒトラーの思想に、なぜ当時のドイツの人々が煽動されてしまったのか。

当事者でもない私には、もちろん当時の人々の気持ちを知る由もないし、また無責任に論じることもしたくはないけれど、それでもこの「どうして?」は、この先もずっと自分の中で問い続けていきたい思いです。

ブランデルク門、壁、ベルリンフィル・・・

ベルリンの象徴ともいえるモノは数々ありますが、ヒトラー時代の気配、そんな側面でもベルリンは象徴的な街なのではないかと思います。

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広大な敷地に並ぶ無数の石碑。ホロコーストの記念碑です。

石碑の数は、なんと2,711個。

石碑には何も書いてありません。

ここの地下には、ユダヤ人たちの日記や手紙など、かつてここに生きた人々を個人レベルで浮き彫りにした資料館もあります。

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ここは、ベルリンの中心地。

すぐ近くにブランデンブルク門、通りを挟んだ反対側にはティアガルテンが広がっています。

写真の右側後方付近に、ヒトラーの総統地下壕跡があります。

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現在は埋め尽くされた、総統地下壕の跡地です。

映画『ヒトラー・最後の12日間(Der Untergang)』で描写された、この地下壕でのヒトラーの日々を思い出し、思わず身震いしてしまいます。

人間的に描かれたヒトラーは如何なものか?として物議を醸し出したこの映画ですが、ドイツ降伏間際を舞台に、ヒトラーの理想としたドイツの破滅とその狂気のなれの果てをつぶさに描いているという点で、やはり秀逸な映画だと思います。

ヒトラー、ゲッペルス・・・俳優たちが、実在人物に酷似(すごい演技力)なのも不気味・・・

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向かって右は、最初に作られた地下壕。

ドイツを取り巻く戦況の厳しさに、やがて自分への殺害の手が伸びるのを恐れたヒトラーは、さらに堅牢な地下壕を求めます(向かって左側部分)。

図からも、双方の壁の厚さの違いがわかります。

後から作られた地下壕の壁の厚さは、なんと4m。

あのベルリンの壁の高さとほぼ同じ厚さの壁を、ヒトラーは奥行きに配したのです。

向かっていちばん下、左から2番目の部屋で、ヒトラーは45年4月30日、拳銃自殺を図ります。

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空襲により壊滅的な被害を受けたベルリン。

当然、ナチ時代の建物も破壊され、または残ったとしても戦後すべて取り壊されたものと思い込んでいましたが、一部ほぼそのままの形で残っているものもあります。

これはそのひとつ、旧帝国航空省、現在の連邦財務省です。

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多分、こちらが正面玄関。

まるで、ヒトラー時代の映画でも見ているような錯覚に陥ります。

石造り、規則的な窓の配置、ひと目でそれとわかる特徴的な建築です。

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ちなみにこれは、前回のカールマルクス通り沿いの旧東ドイツ時代のアパートです。

こちらも同じような窓の配置、一見同じような気がしますが、やっぱり何かが違います・・・どことなく、安っぽい気が・・・??

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トポグラフィー・デス・テラー

上の旧帝国航空省と道を挟んだこの場所に、かつてナチの秘密警察とSS(親衛隊)の本部がありました。

こちらの当時の建物は地下部分の一部を残すのみ、地上部分は跡形もなく、現在はナチの犯罪を写真と文章で記録する展示施設となっています。

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私が訪れたのは、ちょうどリニューアル直後でした。

このようなオープンエアでの展示が、数十メートルに渡って続いています。

手前のレンガが当時の遺構、その向こうに見えるのがベルリンの壁の跡、さらに向こうが旧航空省です。

ここは、ベルリンの負の歴史を一度に垣間見ることのできる場所です。

同じ敷地内には屋内展示場もあり、さらに多くの写真や文章によって、かつてここで起きたことを詳細に知ることができます。

但し・・・まぁここに限ったことではないんですが、今回訪れた博物館、美術館等での表記はすべてドイツ語、または英語です。

どこに行っても、日本語には滅多にお目にかかれません。

ベルリンに限らず、日本人がよく訪れるバイエルンやフランクフルトでさえ状況は同じですね。

英語でもいいんだけどー、せっかくだからやっぱりドイツ語もっと勉強しなきゃ~っ(汗)

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こちらは、第1回目でご紹介した地下鉄ヴィッテンベルク広場駅。

信号の横にさり気に立っている、黒いプレートは・・・

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アウシュヴィッツ、ダッハウ、ザクセンハウゼン・・・

かつてユダヤ人強制収容所のあった場所が記されています。

「我々が決して忘れてはいけない、恐怖の場所」

プレートの上方には、こんなコメントが書かれています(怪しい日本語訳・・・sweat01)。

このプレート、ここだけではなく、ベルリン内で他にも数箇所立てられているそうです。

これが、ドイツ、なんですねぇ・・・

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ナチが迫害したもの、実はユダヤ人だけではありません。

ドイツ人であっても、マイノリティーを徹底して排除しました。

同性愛者、いわゆるホモもそのひとつ。

これは、ホモ迫害によって殺害された人々を追悼する記念碑です。

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身体に障害のある人、病気の人も迫害の対象となりました。

T4作戦といわれるもので、かつてこの場所にあった建物(写真を見る限り、普通の民家にしか見えない)で、数万人の人たちが殺害されました。

これは、その記念碑です。

地面にプレートも埋め込まれていましたが、例によって写真撮り忘れましたっ・・・

実はこの場所、フィルハーモニーと同じ敷地内にあります。

写真左側の黄色い建物が、フィルハーモニーです。

これ以外にもベルリンには、ヒトラー時代の気配を感じるスポットがまだまだ沢山あります。

そのひとつが、ヒトラー暗殺を謀ったフォン・シュタウフェンブルク大佐の像と、その銃殺刑の場となった旧国防省の庭です。

「ワルキューレ」と名づけられたこの暗殺作戦。

取り付けた爆弾は爆発するも、ヒトラー暗殺は未遂に終わり、大佐はじめ首謀者たちは処刑されます。

44年7月のことです。

このときには、まだアンネ・フランクだって生きていました。

歴史に「イフ」はないと言うけれど、それでも、もしも・・・と思わずにはいられない、この暗殺未遂事件です。

次回は、とうとうベルリン総括編・・・かな・・・??

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2010年10月 3日 (日)

ドイツ旅行記2010 ベルリンその4

今年度のNHKのTVドイツ語講座は、通年ベルリン特集です。

上半期は新収録での放送、そしてこの10月からの下半期は昨年の再放送で、いずれもベルリンがテーマ。

でもって今週のキーフレーズは、

Wo ist die Mauer?   (壁はどこですか?)

Wo ist der Checkpoint Charlie?   (チェック・ポイントチャーリーはどこですか?)

広いドイツ語世界にあって、あまりにもベタ、あまりにも個人的ニーズピンポイントのフレーズに感動すら覚えますheart01

それはさておき、今日はその壁の向こう側、旧・東地区特集です。

鉄のカーテン

その言葉を初めて耳にしたのは、小学生の頃だったか・・・

子供心にもその言葉には、何やら不思議で、とてつもなく不気味な存在を感じたものです。

だけど人間って、不思議なものにはついつい興味を惹かれるもの。

カーテンの「向こう」を見てみたい~!かも・・・(まだ単なる好奇心レベル)

そんな興味を抱えつつ、高校生ぐらいから聴くようになった、ムラヴィンスキーのレニングラードフィルの音楽。

同じチャイコフスキーでも、西側のカラヤンとは違う。

まるで、キーンと張り詰めた糸が奏でるかのようなチャイコフスキー。

これが、決定打でした。

カーテンの向こうに、行ってみたーーい!見てみたーーい!聴いてみたーーい!

そんな若気の至りの好奇心に身を任せ、ついにカーテンの「向こう」ソ連を旅したのは大学のときのこと。

この頃は、まだギリギリ(強調するなって?(笑)、てか、年バレバレですね~bleah)ソ連だったんです。

このときの旅のことは、また別の機会にということで。

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ここは、旧・東を代表するアレクサンダー広場周辺の駅前です。

この高架の向こうに、有名な世界時計がありますが、写真の撮るの忘れましたっsweat01

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こちらは、19世紀に建てられた赤の市庁舎。

といっても、あの「赤」の意味はありません。

赤いレンガ造りだから、赤。

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東時代に建設されたTV塔です。

正直、こういう建造物って街の景観としてはどーなんだろう・・・って思ったりもしますが、やはり歳月とともにすっかり街の一部として馴染んでいくものなんでしょうね、きっと。

あのパリのエッフェル塔だって、建設当時はネガティブな意見もあったらしいですから。

このTV塔だって然り。

今や、ベルリンの顔ともいえるでしょう。

「あ~ベルリンに来たんだな~」

今回、フランクフルトから空路ベルリンへ入ったとき、ベルリンアプローチ中、真っ先に目に入ったのもこのTV塔でした。

ところでTVといえば、東西分断時代の興味深い事実としてあるのが、東の住人たちも日常的に西の放送を見ていたということ。

もはや人間が超えるにはあまりにも高すぎたあの壁でさえ、TV波までは遮断できなかったわけです。

一方、当然のことながら東には東の国営放送もあるわけで、映画「グッバイ・レーニン!」でもこれがネタになったシーンがあります。

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すでに何回転も見ているこの映画、大好きです。

東ドイツでの民主化運動が激化する中、デモに参加する息子アレックスの姿にショックを受け、そのまま意識不明となった母親。

やがて崩壊する壁。

東の体制に心酔していた母が目を覚ましたとき、この事実を知ったら・・・

窓の外を見た母親の目の前を、宙吊りにされたレーニン像が舞って行く。

母親を傷つけまいと、懸命に東を偽装するアレックスの奮闘振りが、コミカルな味付けで描かれる、どこか切ないと同時に心温まるストーリーです。

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こちらは、カール・マルクス通り(その昔は、「スターリン通り」と言われた)です。

このような巨大な建物が両側ズラリと2キロ以上にも渡って並んでいる光景、まさに圧倒されます。

これらの写真だけではイメージしにくいかもしれませんが、明らかに西側のそれとは異質の社会主義的風景。

実際、もっとも旧・東的なものを感じる場所といってもいいこの通りは現在、文化財となっています。

で、この建物、ほとんどがアパートとして建てられたものなんです。

巨大な割には、あまり人の気配を感じないこれらの無数のアパート群。

はたしてここに今、どれほどの人が住んでいるんだろ・・・

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映画「善き人のためのソナタ」を御覧になった方には、きっとご記憶ある風景ですねwink

悪名高い旧・東時代の国家保安省、シュタージを題材に描いたこの映画。

「ソナタ」なんていうから、最初はもっと音楽的志向の強い、たとえば体制下でせめてもの救いを音楽に求める人々を描いた音楽主体のありがち感傷的ストーリーかな~なんて、かなり勝手な想像をしていたのですが、実際は、いやいや音楽的感傷どころか、しっかりと人間に軸足を置いたハードなヒューマンドラマでした。

体制に反発し、結果シュタージの監視を受けることになる劇作家ドライマン。

その恋人の女優クリスタ。

体制に屈し、自殺を選んだドライマンの友人の演出家イェルスカ。

そして、彼らを監視する側、シュタージの局員であるヴィースラー。

尋常ならぬ体制下に生きるこれらの人々の胸中を描き出しながら、人間の持つ強さも弱さも浮き彫りにするこの映画。

ラスト近く、ラジオで壁の崩壊を聴くヴィースラー。

持ち場を放棄し、いっせいに立ち上がる同僚たちとは対照的なヴィースラーの静かさが印象的。

上の写真のカール・マルクス書店(残念ながら、今は書店ではないです・・・)が舞台となるラストシーンでは、無意識に涙が出ました。

ぜひ、多くの人に見ていただきたい映画です。

ちなみに、この映画でクリスタ=マリア・ジーラントを演じたのは、クララですよ~wink

つか、クララ(「クララ・シューマン愛の協奏曲」)を演じたマルティナ・ゲデックです。

うーーーん、書きたいことは山のようにあるのに、思うように時間が取れなくてなかなか先に進めませんsweat01

次回は、やっぱり避けて通るわけにはいかない・・・ナチス時代のベルリン特集です。

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